大日坊の歴史

大日坊の歴史

時代を超えて語られる 日本歴史の秘境

旧境内地(掛け軸)

神秘の霊山羽州湯殿山、そして女人の山と崇められた祈願寺湯殿山大日坊、共に空海弘法大師の開基と伝わり、その信仰は年と共に広く深く東北一円、関東へとおよんだ。

今より四〇二年前の慶長八年、徳川家康は江戸幕府を開き、同十年には自らは駿府城に隠居し、秀忠を二代将軍とした。前年九年の竹千代(三代将軍)出生にともない、正式に乳人となるお福(春日局)は、やがて江戸城大奥の歴史に君臨する豪爽の人となる。お福の当坊への祈願来山は、竹千代の身体健固と将軍跡目決定の為に行なわれたものといわれるが、当時はこれを隠し、二代将軍の病気平癒が表面上の理由であったと伝えられている。

日本歴史のひだにひそみ静かに語りつがれるいにしえびとたちの真実は、願いをこめて奉納された現存する様々な品物によってうらづけされ、脈脈と息づいているように思われる。

旧金剛界大日如来

金剛界大日如来

大日坊は大同二年弘法大師の開基であり、正しい寺名は湯殿山瀧水寺金剛院と号したが、追々寺勢がさかんになるとともに増坊の必要、湯殿山流戒律の修行道場、執事本坊そして多数信者を導く講堂も兼ねた建物即ち大日坊が出来た。

慶長十九年には間口四十二間、巾十二間の大伽藍の建立と発展した大師の開基された金剛院瀧水寺は、奥の院大日閣としてまつられ増坊の大日坊は大日如来を安置し本堂としていよいよ隆盛を極めた。

湯殿山は往時女人禁制の秘境であったので大師は女人の心をあわれみ此の地を選び清め湯殿山大権現をおまねきし、又お沢八万八千仏をまつり女の湯殿山としてお建てになったのがこの寺の起りであります。

大師は湯殿山大権現(金胎両部大日如来)と自らの姿を水鏡にうつして之を刻み初代住職の渡海上人にこの寺を附属させた。明治の廃仏棄釈つづいて火災、昭和十一年の地辷災害打続く悲運に見舞われたが法燈を守りつづけ約一千二百年住職は九十五世を数えて居ります。東北一の霊山として、昨今除々に信仰が盛上り毎日多くの拝観者でにぎわう様になりました。

徳川将軍家祈祷寺

大日如来尊堂棟札

大日如来尊堂棟札

徳川三代将軍家光(竹千代)の乳母春日局が将軍家光の天下泰平を祈願されて、又は二代将軍秀忠の病気平癒を祈願して奉納されたともつたえられる大日如来尊像を安置してまつる尊堂の棟札であります。

施主は申す迄もなく春日局であります。

羽州湯殿山表口別当瀧水寺金剛大日坊と彫られ湯殿山の本寺をあかし、立証しております。

春日局奉納

春日局奉納

春日局、当山に金剛界大日如来尊像を御奉納の折、御自分で奉書された(祈願表白)を御入れなされ、御本尊と共に当山まで御持参され御奉納下されたものと伝わっております。

家康公位牌

家康公位牌

此の位牌は家康公没後三代将軍(竹千代)の乳母春日局が家康公の遣徳に感謝し、その冥福を祈るため奉納されたもので、今の時代では中々見当らない珍らしい雲首形位牌と申されております。

瀧水寺大日坊

所在地
〒997-0531
山形県鶴岡市大網字入道11

電話番号/FAX番号
電話:0235-54-6301
FAX:0235-54-6302